船から降りて、祝島に初上陸。なんだけど、
あんまり初めてな感じがしない。
母の生まれた島の景色に、よく似てた。
ノーヘルで二人乗りのカブがブイブイ走ってたりするとことか(笑)
違うところは練塀かな。とっても素敵~。

でもね、もっと素敵だったのは、人!
平均年齢75歳だけあって、おじいちゃんおばあちゃんが圧倒的だったんだけど、
祝島の人達は、みんなあったかくて、やさしくて、人情に溢れてて、
そして、強かった。
友人と子ども達と、さっそく腹ごしらえって、入った小さなお店は、
島の人達の憩いの場になってるみたいで、席数も少ないので、
予約してから来る人が多い。
連れ立ってやってくるのは、おばちゃん、おばあちゃんと女子率高し。
お店に予約入れてからお友達とお昼ご飯、って、
年齢高めの「ママ友ランチ」みたいで、女子はいくつになっても、どこにいても
同じなんだね(笑)
ご飯食べながら、チビっ子を構ってもらったり、道を教えてもらったりして
おしゃべりしたあとは、お店を出て、お散歩。
私が行きたかった「平さんの棚田」へは、どうやら今回行くには厳しい
という事が判明し落胆するも、子ども達とゆっくり歩きながら、
行きかう祝島の人達と、お話してまわるのは楽しかった。
話題はどうしても、震災や原発のことになって、テーマは重いんだけど、
なんか、所さんの笑ってコラえて!の「ダーツの旅」みたいだったわ。
海が望める坂道をのぼりながら、出会ったおじいちゃんとの会話の中で、
「人間の作ったものは絶対いつかめげるんじゃけぇ」※めげる=壊れる
と言うおじいちゃんの言葉に、
これほど重みのある言葉があろうか、と思う。本当にその通りだ。
漁師をしているという、そのおじいちゃんは、
作業船が出たら漁を中断して現場に向かって抗議をするというような生活で、
「わしの人生の30年のうち、15年くらいは反対の為の時間じゃった」と、言っていた。
計画が持ち上がった頃は、おじいちゃんは、まだ、お父さんだったはず。
私が、おぎゃあって生まれて、高校に入学するまでと同じ時間が
原発建設反対の為だけに使われてきてると思うと、たまらない気持ちになる。

坂の上からの景色。のどかだにゃー。

波止場にいた、おじちゃん達。私達が散歩して帰ってくる間も、ずーーっとそこいた。
海でたむろってる学生服着た男子の年齢高めバージョンだ。
男子も、いくつになっても男子だわ(笑)
話しかけてみる。(←ダーツの旅風にw)
ここから海を覗くと、すごい透明感で、魚の大群が見えた。
スナメリクジラに追われてここに入り込んできたらしい。
ソータは、楽しそうに魚の群れをずーーっと見てた。
私が神奈川から来たことを話すと
「神奈川帰るんか?」「放射能は怖いぞー」と、おどけたように話すおじちゃん達。
この前、祝島のドキュメンタリーの動画を見てたら、同じ場所でたむろってる所が
映ってた。 あの時のおじちゃん達だった。ホント、何してるんだろ。仲良しだな(笑)
このおじちゃん達からも、リアルな生の声を聞いた。
*******
岩場の海に行くと、船で一緒だった、ママさんが子ども達を遊ばせていた。
上関の近く、平生町から来たらしい。
ママ同士なので、話が盛り上がる。
島の人達と話した事をシェアしてると、そのママさんが「聞いた話なんだけどね・・・」
と言うことには
推進派だった議員さんも、今回の震災を受けて、反対に傾いてる人もいるらしい。
だけど、これまでの事(30年)があり、今さら寝返ることはできない。
世論もあるし、反対派の議員さんにがんばってもらって、仕方なく折れるという形に
できれば・・・って言ってるそう。その話を聞いて、私と友人が同時に
「今しかないと思うんじゃけど」
笑ってしまうほど、同じタイミングに同じ言葉だった。
上関は、集落も議員さんも推進派の人が多数だ。
少数の反対派の人だけに「がんばってもらって、仕方なく折れる形」なんて、それって
どうなんだろう。この震災のタイミングで声をあげなくて、いつならいいの?
今しかないでしょ?推進とか反対とかじゃなくて、一緒に立ち止まって考えてみようって
スタンスだって、いいじゃない。とかなんとか、ケンケンゴーゴー。
そのママさんによると、周囲では
ハンストしてた男の子達のニュースや、2月の大規模工事、
今回の震災で、お母さんたちの声がかなり高まってきてるそうで、
そういう人達でアクションを起こしていこうという話が出ている、との事だった。
それは、ママ仲間としてぜひ応援したい。私もがんばる!
と、激励しまくって、お別れした。
*******
空も雲って寒くなり、船の時間より早めに、港の小さな小さな待合室で
時間をつぶしている時のこと。
おばあちゃんが、ひとり、いたので
「おばあちゃんも、原発は、反対?」と、聞いてみた。
おばあちゃんは、教えてくれた。
「私はね、祝島の生まれで、四代にお嫁に行ったの。四代はね、推進なの」
四代(=しだい。祝島の隣の港にある集落の事)
昔は、四代の中にも反対の人は多かったけれど、反対なのは高齢者が多く、
30年という年月の間に、亡くなってしまったりで、反対派の人はどんどん少なくなっていって
しまったんだそう。若い人達は推進派が多く、おばあちゃんの息子さんも、推進派。
自分自身は祝島の人達と同じように、心では反対だけど、
今は息子夫婦に世話になっているから、声をあげる事はできない。
四代にいて、原発反対というと、居場所がなくなる。
「でもね、四代の中にも反対の人もいて、○○さんの所へ行くと、あそこでは、
話ができるんよ。だからね、私は若い者の言う事に口出しはできんけど、心では反対派」
家族に本音も言えず、町では肩身の狭い思いをして暮らしている。
・・・なんて、切ない話だろう。と思った。
今、震災を機に、世論で推進派・反対派とかって、いろんな意見があるけど
「だって、電気は必要でしょ」とか「代替エネルギーがないなら原発に頼るしかない」
というような理由とは違って、誘致されようとしてる町ではこんなに深刻な現実がある。
推進派の人だって、町をよくしたいっていう気持ちからであって、
どちらがいい、悪いって言えない。(中電のやり方には、めっちゃ異を唱えたいけども)
その中心が、原発っていう人の手に負えないものだってのが、問題で(大問題だ)
そんでもって、30年なのだ。
何回も書いたけど、30年なのだ。
友人Yちゃんと「祝島の人達は、すごすぎる」と、話した。
私達が知ってるこれまでの県や中電のやり方、上関では推進派が多数という現実、
島の人達の話を聞いて、今、目の前に原発が建設されていないことが、
奇跡のように思える。田ノ浦を、絶滅危惧種が多く生息する奇跡の海だと言うが、
そういう意味でも、ここは奇跡の海だと思った。
心が折れてもおかしくなかったと思う。
海を守りたい、というその一心で、よくぞ、よくぞ、これまでがんばってこられた。
・・・という想いで胸がいっぱい。
ハート型のこの島には、自然に対する愛が満ち溢れていた。
もう、報われてもいいんじゃないだろうか。
心底、思った。
船では離れたところに座っていたおばあちゃん。四代の港に着いて、
船を降りようとしていたので、私は、かけよっておばあちゃんに言った。
「おばあちゃん。私、神奈川に帰るけど、私は神奈川でがんばるからさ、
おばあちゃんは、心の中でがんばって。また、祝島にも来るけぇさ。また会おうね」
おばあちゃんは「はい、がんばります。お願いします」と、握手してくれた。
深いしわの、ちっこい背中の、おばあちゃん。
今は、顔も思い出せないけど(コラ)
がんばるって、具体的に何をがんばるか、わかんないけど(おい)
私は、私のできる事をしよう。と、思ったのだった。ばっちゃんの名にかけて~!メラメラ~。
・・・でも、ばっちゃんの名前、知らんがな^^;
でも、また、会えるといいな。
日帰りだったから、たぶん、祝島の魅力の10分の1も、わかんなかったと思う。
だって、平さんの棚田も見てないし、スナメリクジラにも、ブタさんにも会ってない~(TT)
けど、今、ここに来て、海を眺めて、島の人達と会えて、初めてわかった事。
それが、わかっただけで、今日の一日は大満足だった。
夏には、絶対、泊まりで来ようね。と、友人と話して、上関を後にした。